東南アジア2002春

初のアジア旅行

2002年は旅行の年かな?3月の後半からちょうど1か月で東南アジアを周って来ました。ルートはソウル経由でシンガポールに入り、マレーシア、タイ、カンボジアと行って、タイへ戻りまたソウル経由で日本へと戻るものでした。小さなころから夢見ていたアンコールワット、さて、無事に見ることが出来たのでしょうか?

2002年に何回旅行に行けば気が済むの?みたいな事をいわれそうな気がしますが、どうなんでしょう?僕にとっては久々のまともな旅行になりました。一人旅と言えばここ、東南アジアでしょう?たまたま旅行に行きたいなー。と思っている時に就いていた仕事が某専門学校の非常勤講師という事でちょうどいいことに春休みが近づいていました。とにかく旅行に行きたいと思って最初に決めたのがネパール、ヒマラヤをトレッキングするぞー!と心に誓ったのであります。が、2月3月と時間が経つにつれ、ネパールの情勢が悪化しているではありませんか。自分的には行く気満々なのですが、いろいろな人の柔らかな反対を受け、やめる事にしました。で、次に考えたのがバックパッカー入門編にでもなりそうな東南アジアです。行くと決めていろいろ電話したのが3月の15日、出発は3月の17日前後を予定していました。当然のごとくそんな急にチケットが取れるはずも無く、結局3月19日出発30日オープンでぎりぎりの4月16日帰国を仮予約してソウル経由のシンガポール入り、帰りはバンコクからソウル経由で関空へというようなスケジュールで旅立ったのです。実際こっち方面を旅する人たちはバンコクからシンガポールへ降りる人が多いのですが、そのルートの方が楽に行けると思ったのであえて厳しい旅をしたいと思ったのと4月の中旬にあるタイ正月を見たいっていう理由であえてシンガ入りポール入りのマレー半島、北上ルートを選びました

今回の旅のおよその目的はいくつかありました。一つはビーチリゾートへたくさん行って癒されて帰ること。一つは最初に決めていた絶対行きたいところへ行くこと、今回は映画”南太平洋”のロケ地に選ばれた島、ティオマン島という島、それと映画”ザ・ビーチ”に使われた島、ピピ島、もう一つはしっかり時間が余ればゆっくりと行きたい遺跡 好きの僕の小さなころからの憧れの場所”アンコールワット”へ行くこと。ですね。さて、すべて行くことが出来たのでしょうか?

シンガポール入国

さて、まずは関空からソウル経由でシンガポールへ、ソウルは一ヶ月ほど前に一度来ていたので難なく初のトランジットも問題なかった。そのままシンガポールへ。空港へ着き、バスへ乗ろうとしたらよく分からなかったので、いろいろと聞いたりして街まで列車が走っているらしいので適当に乗ってみる。列車の中にトレインマップがあるのでそれを見ながら安宿がある辺りの近くにある駅を見つけ、そこで降りる。かなり適当でも何とかなるものである。この後一冊だけ持って行っていた某ガイドブックを頼りに歩く、この一ヶ月の旅ずっとなのだが、わざとじゃないかと思えるほどこの某有名ガイドブックの地図は間違っていた。夜の8時くらいで当たりは真っ暗。結局ストリートの名前を連発していろいろな人に聞いて安宿街まで歩くことができ、一泊28S$(シンガポールドル、1ドル=80円くらい)の部屋を見つけることができた。英語が通じる国はいい、と思った。

この部屋、エアコン付だがめちゃ狭く汚い。(ハワイホステル:シャワー、トイレ共同)しかし、さすが赤道直下の国は暑い!ホテルの人に聞いて夜ご飯を食べに屋台街へ。ホッケンミーという中国の麺料理とこの後お菓子っぽいものを買ってホテルで食べる。

ここシンガポールは誰に聞いても”めちゃ良かった!”って言う感想を言ってくれる人がいなかった。ので、次の日から要所をさっさと押さえにかかりました。日本人戦没者記念塔、マーライオン、近くの教会、市役所、川べりを歩きそしてチャイナタウンでご飯を食べセントーサ島へ。

ここセントーサ島にも後から出来たでかくてきれいなマーライオンがいます。こっちの方がでかくて夜には目からレーザー光線が出るそうです。どうでもいいですけどピンクイルカを見たのはこの時が初めてでした、かわいいですね。という感じでセントーサ島をすごしました。

この日はシンガポール最後の日と決めて色々食べました。これから頻繁に食べることになるナシゴレン、沖縄で飲んで以来飲みたくてもなかなかその機会に恵まれていなかったサトウキビジュース、そしてこの後毎日のように食べたり飲んだりしたマンゴー。どれもハズレの無いものばかりでした。特にマンゴーは、いろんな人たちを巻き込んで全員マンゴー中毒にさせた上に、自分はマンゴーを扱うカフェのオーナーになったりとマンゴーにドップリ浸かります。

マレーシアへ

さて、次の日は移動日です。マレーシアのティオマン島へ向かいます。行く方法はたくさんありますが、一番安いと思われた手段の一つがティオマン島のすぐ近くのメルシンというところへ行き、そこから船で行く方法です。陸路で難なくシンガポールからマレーシアに入り、ジョホールバルというところで少し休憩してメルシンへ、、、バスが何も告げずにガソリンスタンドに停まり、給油でもするのかな?とか思っていて目を閉じているとバスは発進、知らない間に隣のオーストラリア人がいなくなっていた。すると一人のアメリカ人っぽい女の子が騒ぎ出し、ドライバーに駆け寄ってバスを止める。何てことするんだろう。と思って話を聞いているとどうやら先ほどのガソリンスタンドはメルシンのバス停でバスはすでに次の目的地へ向かっているとの事。その後まさかここがメルシンだと思っていなかった人が僕を含めみんな怒ってドライバーに詰め寄るが結局そこからバックパックを担ぎ、歩いてメルシンへ戻ることに、、、最悪です。皆さんもバスには気をつけましょう。

メルシンで両替をして軽く食事も済ませ、ティオマン島行きのフェリーチケットを買い、待つ。午後4:30出発なのに結局5:30になる。この間にマレーに住んでる日本人2人と仲良くなり、いろいろと情報を仕入れておく。着いてからも日本人と友達になり、なんと最後の夜には麻雀をしたりもした。ここティオマンは最高の所だった。宿は一泊15RM(マレーシアリンギット、1RM=30円、500円くらい)インターネットも値段は高いが出来る所があった。(1時間10RM)

写真が泊まっていたサウスパシフィックシャレーです。なんせ蚊をはじめとする虫、蛙。いろいろ出没します。

シャワーは川の匂いがしますが、そのうち慣れてきます。蚊帳は蚊が多い時は気休めみたいなものです。足の形が変わるくらい刺されます。でも、そのうちなぜか刺されなくなってきます

南の島でハンモックに揺られながら読書をしてゆったりとした時間を過ごしてみたいって思ったこと、ありませんか?人によってはしょーも無いことだと思うかもしれませんが、夢かなったってな感じでした。椰子の実は以前日本で飲んだ事があったのですが、おいしくありませんでした、日本で飲んだからおいしくなかったんだと思い、自分で採って飲もうと思ったら現地の人が手伝ってくれました。3種類採って飲んで、食べたのですが、やはり僕にはもう一つピンッとくる味ではありませんでした。

南の島でハンモックに揺られながら読書をしてゆったりとした時間を過ごしてみたいって思ったこと、ありませんか?人によってはしょーも無いことだと思うかもしれませんが、夢かなったってな感じでした。椰子の実は以前日本で飲んだ事があったのですが、おいしくありませんでした、日本で飲んだからおいしくなかったんだと思い、自分で採って飲もうと思ったら現地の人が手伝ってくれました。3種類採って飲んで、食べたのですが、やはり僕にはもう一つピンッとくる味ではありませんでした。

いうまでもなく、ここティオマン島は海とビーチが美しかったです。魚も餌を持って海へ入るとわんさか寄ってきます。こんなに白い砂浜、きれいな珊瑚を見たのは初めてでした。この日ベルギー人と仲良くなり一緒にシュノーケリングを楽しみました。毎夜には南十字星がくっきり出ていました。感動!

楽しくて楽しくてまだまだティオマン島に居たかったのですが、このあたりで引き上げないとほんとに居心地良くて帰れなくなるって判断したところ、偶然にも友達になった日本人の人が車を持ってて次の目的地への途中まで乗せていってくれるというので便乗することにしました。またフェリーでメルシンまで戻り初のご飯におかずをのせて食べる方式で昼ごはんを食べ車でクルアンというところへ。そこからバスでクアラルンプールへ向かう。

クアラルンプール

バックパッカーズトラベラーズロッジ (右の入口の扉)

クアラルンプールに着いたのは午後10時を過ぎていた。宿見つかるのかな?と少々不安になっていたが歩くこと20分くらいで怪しげな安宿っぽいところが見つかり勇気を持って入ると一泊22RMときっと都会にしては安いだろな?というところが見つかり即決。次の日は有名なペドロナスツインタワーへ行きました。都会の嫌いな僕は適当に観る所をみて次なる場所、ペナンへと向かったのです。

ペドロナスツインタワー

ペナン

ここペナンは結構期待してきたのですが、海の水はきれいじゃないし、街の雰囲気も好きにはなれませんでした。さらには警察になぜか職務質問されて財布から何から全部見られました。もちろんニセ警官かも知れないので警戒しながら渡しましたけれど。幸い宿の人はいい人だったので楽しく過ごすことができました。ここで経験したかったパラセーリング、牽引してる人がアドリブでムチャしてくれたりして危険でしたが、僕にはいいサービスでした。楽しかったですよー!

ミルクとなんか果物の保存がきくようにしてるものを購入したのですが、両方とも激マズで悲しい顔をしています。他はこちらでは良く売ってるジュースとインド人街でかったパパイヤです。ジュースは好きになれない味でした。パパイヤは最高!泊まったのは画像のGENESIS(一泊15RM)

食事なのですが、画像を見ても分かるとおり、持ち帰りは何でもビニール袋に入れてくれます。ジュースでさえ・・・
氷やどんな水で洗ったものか分からない包丁で切った生野菜や果物は危険らしいですが、徐々に体を慣らしていけば、平気でした。当然その度に軽い下痢はおこしますがねー。

屋台とかでおいしいものを食べようと思えば通らなければならない道です。生水や、お茶も飲んでましたが結構大丈夫なもんですよー!

ピピ島

さて、ペナンからランカウイに行こうと思っていましたが、ペナンでがっかりしてさらに別段きれいでもないらしいので、一気に次なる目的地、ピピ島へ向かったのです。

実は今回の旅のビーチでは最高の場所になりました。

さて、ここピピ島ですが、まず、ペナンからの移動で小さなワゴンで国境を越え、12時間くらいでクラビというところに、さらにその後フェリーで3時間くらい。ピピ島に着きます。このあたりのバス移動は必ず良くないことが起こっていたのですが、この後もっと悪いことがあったので今回は書かないでおきます。ピピ島は思っていたよりかなり観光地化されていました。結構何でも値段が高い。部屋を探しても結構高かった。かなり探したつもりだったが、結局一泊400バーツ(1タイバーツ、3円)の所が一番安かった。(R.S.GEST HOUSE)でも、きれいな部屋で広くてシャワーもトイレも付いていた。

ここピピ島はドン島・レ島という二つの島からなっています。人が住んで生活しているのがドン島で無人島であり、映画ザ・ビーチの舞台になったのがレ島です。ついたこの日はのんびりとおいしい屋台食を食べつつビーチでボーっとしてました。海はホントにきれい!夜には次の日のレ等へのボートトリップへの予約を入れておきます。
さて、この日のために持ってきていたマスクとシュノーケルを持ってボートトリップへ。行き先はレ島のビーチを回り、ランチを食べて・・・とにかくいろいろきれいなところばかりを一日かけて回ってくれます。使ったボートはこういうやつ。ロングボートといいます。
しかし船頭、シブすぎます!

バイキングケイブ

映画のように周りが断崖絶壁な島というのはホントの話。ここは数少ない島へ入ることの出来る場所、バイキングケイブです。昔、海賊がホントにここを拠点に動いていたそうです。

映画ではこの島は閉ざされたビーチとなっていましたが、その舞台、ここマヤ湾は実は真ん中の写真のように実は閉ざされてはいません。ただ、この島は無人島で少しも汚されていなくホントに海、砂、何もかもがきれいでした。

マヤ湾の後にランチを食べ、モンキー湾へ渡り、その後もきれいなポイント数ヶ所でシュノーケリングをさせてもらい、楽しい一日が終わりました。

海で泳いだ日はとても疲れておなかも減るのは僕だけでしょうか?ピピ島では行きつけの定食屋さんがあったのですが、そこで食べた後この日はさらに食べまくりました。左のごはんはもちごめです。次の画像の袋に入っているものは焼き鳥です。おいしそうに焼いていたので三本ちょうだいって言うとていねいに串からはずして袋に入れてくれました。串のままでいいのにー!

展望台

さて、食べたら運動です。次の日はここピピ、ドン島で一番高い場所にある展望台へと向かいました。もちろん歩きです。このホームページのトップページのパノラマ写真もここから撮影したものです。かなりの勾配と距離があってむちゃくちゃきつかったです。このてっぺんには人が住んでいて、お水やアイスクリームを売っていました。すごく高いので高いやん!って言ったら下から毎日買ってきてるからって言われました。まーそりゃー仕方ないかってことで水を買いました。

プーケット

プーケット、港についてから英語も日本語も通じず適当にしていたらなんとか宿まで来ることが出来ました。ここも宿は汚く安いってところがありませんでした。さすが観光地。ハネムーンとかで来る人も多いところですからねー。インターネット等も不自由せず利用することが出来ました。ここでは2泊のみ。さっぱり面白くなかったです。後に行くバリ島と雰囲気が良く似ていました。

市バスです、乗り方がさっぱり分かりませんした。そしてお金の払い方もめんどうです。普通はタクシーとかを使うんですけどね。タイ人ばっかりでした。実はこの後にバンコクへ行ってさらに市バスに乗るのが大変だということが分かりました。

プーケットのビーチです、かなり有名な場所なんですが、たいして海がきれいでもなく、アメリカ人とかはビール飲みながら日光浴ばかりしていました。ひとはめくちゃくちゃいます。右の写真の中には軽く1000人を越えた人・人・人です。もうここには用が無いやと思ってバンコク行きのワゴンを探したのですがさっぱり無くってさらに探しに探すとなんとか少し高めのバスの予約が取れて次の日にはバスで18時間、バンコクへ向かうことに。

タイ

バンコク

ピピ島からタイに入国しているわけなんですが、ここバンコクに入りますと、タイに来たー!って思いました。

バンコクには夜着、しかしここはバスターミナル。バンコクの安宿と言えばザ・ビーチにも出てきてるし、旅好きな人は誰でも知っている場所、カオサンロードです。そこを目指したいのだがここがどこなのか、どうやってカオサンへ向かえばいいのかがさっぱり分からない。タクシーやここで初めて見るトゥクトゥクに乗るのは男が下がる!ので意地でも乗らない。後になって自分でも思うし、人にも言われるのだが最終的にカオサンに着いたのが奇跡的だった。結局英語も日本語も通じない状態でお巡りさんに言われるがままバスに乗るがバスの車掌さんが『このバスじゃカオサンに行けないよ』って言ってる。(たぶん・・・)で、お金も払わずバスを降りて他のバスに適当に乗ってみる。やっぱり違うらしい。ここバンコクの市バスは路線ごとに番号が振られているのだが、その番号は3ケタにも及ぶ。地元の人もなかなか把握できてないらしい。旅行者には世界一難しい市バスだと言われている。またしもお金も払わず降ろしてもらい、やっぱりトゥクトゥクのお世話になろうかな?っていう時に欧米人を見つけた!

久々の英語でわらにもすがる思いでカオサンへの道を聞いた。なんとカナディアンでカオサンに向かうところだそうだ。一緒にバスに乗って盛り上がった。実はそのカナディアンも今ひとつ分からないけどたぶんこのバスで合ってると思うとのことだった。無事カオサンロードに着いて彼とは別れる。事前の資料を基に安宿を探し始めるがここカオサンはすごい町だ!
カオサンのことは置いといて、さっそく安宿を当たってみた。なかなかいいところが無いところへ一泊90バーツの看板の宿があった、SWEETYという宿だ。カオサンから少しだけ外れて静かなところにある。宿のおっさんはめちゃ感じ悪いが安いので決めた。とりあえず2泊の契約をした。部屋に入ったら偶然にもさっきのカナディアンがいてびっくりした。

何がSWEETYなのかさっぱり分からん。部屋は狭いし汚いし、宿のおっさんはどいつも例外なく感じ悪いし日本人の女の子だけには楽しく話しかけている。安いから仕方ないし、カオサンってどこもそうなのかな?って思ったのだが、後になってどうやらそうではなかったことに気がついた。もう2度とここには泊まらねーよ!と決心。部屋にいるのがいやですぐに夜ご飯を食べに出かけた。

カオパッタイ(タイ風焼き飯)を屋台で食べてから歩いているとどこからか何やら変なにおいが・・・見るとドリアンをリアカーで引いている人がいた。いくらって聞いたら150バーツ(450円)ということだ。宿より全然高いじゃん!ってことで値切ったがダメ。半分売ってくれっていうのを粘ったらなんとか売ってくれた。その後いくつかチケット会社に寄ってその後のスケジュールを検討。次の日の夕方にチェンマイへ出発することを決め。宿に戻り一泊分をキャンセルして部屋でドリアンを食べる。最初は戸惑ったがとても美味なのにビックリ!さすが果物の王様だ。

お寺巡り

次の日の朝、カオサンからは歩いていける有名どころのお寺を回ることに。お寺ではボタンの付いたシャツに長ズボンでなければいけないので一年でも一番暑い季節だが仕方なく着替えて行く。
まずは王宮といわれる場所に。行く途中、ガイドブックにすら載っているサギ師が近づいてくる。明らかにおっさんだが、タマサート大学の学生だと言う。王宮へ行くんだと言うと今はご飯中だから3時過ぎないと開いてないよと言ってくる。その間いろんなお寺を一緒に回ってあげるよといってトゥクトゥクを停めて一緒に乗せられるが、それじゃーまずほんとに王宮がしまってるかどうか1000バーツの賭けをしよう、と言うと去っていった。観光にとってもいいお寺の情報だけはしっかりとそいつから手に入れた。

王宮はもちろん開いている。入場料を払い、広い王宮の中へ、そして一般的な観光が出来ました

王宮の次は根釈迦で有名なワットポーへ

この時たまたま根釈迦は工事中だったのでまたいつの日にかここ来るぞ、とリベンジを誓いました、もちろん来ました!

遺跡にはとっても興味があるのですが、これ系なんとなく面白くなかったです。一応バンコクといえばここかな?ってことで来てみたって感じですかね?この近所に市場があって、日本ではなかなかお目にかかれないマンゴスチンやランブータン等、たくさんのフルーツを食べまくりました。

チェンマイへ

なんだかんだで夕方になり、チェンマイ行きのバスの集合地点へ行く。なんだか分からんけどむちゃくちゃ待たされている。その間に集まっているいろんな人と友達になるが、その中でも男2人組のベルギー人とむちゃくちゃ仲良くなりいろいろと遊んでいた。すると集合時間を3時間くらい過ぎてからやっとバスが到着。乗り込んだ。
 走り出してエンジン音がおかしいなー?とか思いつつバスはどんどん走るが、とりあえず橋で脱輪。無事脱出してから思ってたとおりエンジンブロー。まだ走り始めて30分も経ってない。このバスは僕を含めタイ人以外の乗るツアーバスだ。もちろん日本人はお金があるのでこんなバスにはほかには一人も乗っていないが・・・
 欧米人の一人がもっとスピードは出ないのか!?みたいなことを言ってたがやはりエンジンがおかしいので60キロくらいしか出てないような感じだ。先行き真っ暗!
 そうは言えど、やはり爆睡していた僕は3時ころにたたき起こされる。どうやら食事休憩だ。よくある話だが何か様子がおかしかった。食事休憩が1時間くらい過ぎたころ、エンジンが動かなくなったと告げられる。代わりのバスがバンコクから来るのを待つみたいだ。キレそうになったがここはタイ、仕方なかった。
 さらに一時間半ほど待つと新しいバスが到着したらしい。見てびっくり、客が乗っている、それもツアーバスらしい。僕たちをこれ以上待たせないということでそのバスの客を降ろしてそっちの客を待たせてまた新しいバスを待つという計算らしい。びっくりしたのは客が乗ってることよりもバスがめちゃめちゃ小さいことだった。
 バスの運転手と仲良く飲んでた僕はバスに乗り込むのが遅くなってしまった。ってことで席が埋まってしまい、座るところが無くなった。このまま立って何時間もバスには乗ってられないし・・・と思ってたらクラスに一人はいそうな優等生っぽい白人のおねーさんんが、こんなのフェアじゃないわ、立ってる人にはお金を返すかすぐに新しいバスに乗せてあげるべきよ。みたいな事を言っている。でもここはタイ、そんなことは通用しない。
 もう開き直って真ん中の通路で寝そべってみた、両サイドの人の靴が目の前にあるがもう開き直ってしまった。するとどこからともなく座席に一つづつあるブランケットが飛んできた。使えよってことらしい。サンキュー!と大きく叫んだらいろんなところからブランケットが飛んできた。簡単なベッドのようになってとっても寝心地よかった。のはつかの間のことだったのですが・・・

そして明け方にまた起こされる、爆音と共に。バスが止まって点検している、どうやらパンクらしい。近くのガソリンスタンドまで行き、パンク修理をしながら朝ごはん。そろそろチェンマイへの到着時間だが、半分くらいしか走っていないらしい。今後の予定が成り立たなくなってしまったが、ここはタイ、仕方ない。

予定を6時間くらい過ぎてバスは昼前に到着、その日の安宿を探して歩く。ここチェンマイは物価が安く、年金暮らしの日本人がたくさん住んでいるらしい。いい宿がいくつかあってその中でも日本人がいない静かな宿を取って今日から行く予定だったトレッキングを予約しに行く。

トレッキングの予約が取れてちょっとチェンマイを散策してからナイトバザールへと出かける。このナイトバザールはいろんな物が安く手に入るところだ。軽く買い物して、晩ごはんを食べ、宿に戻る。

チェンマイの城壁
チェンマイの宿
マンゴージュースとご飯
バナナのから揚げ

次の朝、早くにトレッキングへ出発のため早く起きて身支度を整える前に屋台で朝ごはんを取ろうと出かける。そこでおいしそうなフライドチキンをどんどん揚げているおばちゃん屋台があったので一人前買って口に入れた。ビックリ!!!なんとバナナだったのだ。最初は戸惑ったがバナナとして食べるとこれが結構いける。

ミネラルウォーターを買って一人でゆっくりと食べていたら綺麗なタイ人の女の子が近寄ってきて今から私の部屋に来ない?ってしつこく誘われる。トレッキングの集合時間が迫ってるからって言ってもしつこいのでちょっとやめてくれ!って言ったら帰っていった。なんじゃい、と思っていたら先ほどの揚げバナナ屋台のおばちゃんに『奴は男だからついて行っちゃダメだよ』って言われる。さすが、恐るべしタイランド!

チェンマイトレッキング

ここチェンマイはいろいろなことで有名な場所です。そのひとつがチェンマイトレッキングです。今回は1泊2日の気楽なものを選びました。多国籍なグループが集まってワゴンに乗り、さらに田舎へ向かって走る。やがて目的地へ到着すると像に乗ります、念願の像に乗ることが出来たのは良いのですが、乗り心地は結構良いです、でも、かなり細い道、しかも断崖。足を踏み外すと全員死亡は確実です。超怖かった!あと川を渡ったりとかなりスリル満点で楽しめました。
その後は滝の中で一休みしてそこからは山道をひたすら歩き、宿泊場所である原住民の村へ行きました。

原住民の村に到着するとここでの宿泊の契約でしたので荷物をまとめていると、トレッキングに参加している小さな兄弟が僕のデジカメに興味深々。まだまだ世界ではデジカメがメジャーではありませんでしたので撮影直後の映像が見られることに大人も子供もビックリです。カメラを構えるとポーズを撮ってくれます、2日間この兄弟とずっと遊んでいました。
夜はまた星がめちゃくちゃ綺麗で大満足!

2日目もいろいろとたくさんの楽しいアクティビティーをこなして、最後の楽しみはこのバンブー下りです。現地の兄ちゃんにデジカメを預けるのは怖かったですが、一応無事シャッターを下ろしてもらえました。

カンボジア
アンコールワットへの道

チェンマイからの帰りは列車を予約していました、ここでも毎度のことのようにトラブルで数時間遅れましたが、なんとか出発。寝台車でゆったり快適にバンコクへ帰ることが出来ました。帰ったらすぐにカンボジアへ!

もちろん小さなワゴンです。

出会い

ワゴンは2台でした。僕はカンボジアビザを暇な時に取得してました(安いので)普通の人はちょっとだけ高いですが、国境でビザを取得することも可能です。ここでもう一台のワゴンの人たちと合流。日本人が何人もいました。

ワゴンは上記画像のような感じ。画像は現地の子です。”あいのり”ワゴンみたいな感じです。灼熱の太陽でエアコンは効かず、砂埃のせいで窓はあけられずサウナ状態の中で悪路のせいでペットボトルの水も飲めないほど揺れます。拷問でした。僕以外の人たちは全員”帰りは飛行機にする!”って言っていました。

シェムリアップ

アンコールワットの存在するシェムリアップに到着したのは予定を大幅に遅れてかなり夜更け。夜に出歩くのは危ないと言われていたカンボジアなのでほとんどの旅人は到着場所のホテルで宿泊予約している。が、僕は宿を探しに歩くことに。そこで国境で知り合った日本人2人の男性がついてきました。
数件捜し歩いた末に 値切りに値切って宿を決定、すぐにみんなで食事に出かけました。このアンコールでは日本人3人で常に行動を共にすることになりました。

ローカル食堂にて

今から考えると夜中に到着したのは高いホテルに泊まらせるため?とか思いましたが、後の話。
食事後は次の日からのアンコールでの移動方法を現地の人と相談して色々と決定!
小学生の時から夢見ていたアンコールワットはすぐそこです!

夢にまで見たアンコール遺跡群

翌日超早朝に3人で出発!バイクタクシーをチャーターしてアンコールへ。アンコールのゲートにはチェックする人がいます。チェックをパスしてついにアンコールワットが見えてきます、もう、感動っ!!!泣けてきます。
写真撮りながらアンコールワットの中心まで駆け足で行き、そこで日の出を拝みます。最高の時間でした!

アンコールの地域は入場するのに当時3日パスで40ドルとこの国の物価から考えると破格の高値!でも3日間バイクタクシーをチャーターし、ゆったりとした時間を過ごすことが出来ました。ここアンコールワットがジャングルの奥地にて発見される何百年も前に江戸時代の日本人が”ここが天竺だ!”と勘違いして、柱に筆をおろした墨書が残されています。人がほとんどいないアンコールワットの中で僧侶に声をかけられて、中を紹介するよと言われたので”お金ないし、必要ないよ”と答えましたが、良い奴で”ボランティアで良いよ”と言ってくれたので遠慮なく英語で案内を受けましたが、最後には”お金クレ”と言われてがっかりしました。1円も払いませんでしたけれど。

アンコールトム

画像はアンコールトムの入口です。ここにはバイヨンという美しいレリーフなどがありました。正直アンコールワットで感動しすぎてあまり衝撃はありませんでした。
どちらかというと、雷でバキバキにやられた大木とかにびっくりしました。1日一回の強烈なスコールで涼しくなります。

自然の驚異
このアンコール遺跡群、そしてこの1ヶ月のアジア旅行の中で楽しみにしていた場所のひとつ、タ・プロム。ここは宮崎駿監督の”天空の城ラピュタ”のモデルになった場所としても有名なところです。遺跡は植物に浸食され、崩れまくっています。もちろんタ・プロム以外のアンコールワットなども浸食されつつあるのですが、ここはなぜか侵食のスピードが非常に速いです。アンコール遺跡群はカンボジアではなく世界の遺跡、ですので守る必要があると思います。日本は修復に多大な貢献をしています。

想像を絶するスケール
画像を見ていただいても分かると思いますが、自然のパワーをあらためて感じる時間でした。ここへ来て声をあげない人はいませんでした。ここでもゆーったりと沈没してみました。

プノン・バケン

アンコール遺跡群を一望
画像は国境で知り合った”ノブ”です。偶然同じ年齢で、環境はあまりにも違いますが僕と同じように人生を楽しく歩んでいる貴重な日本人です。この直後のアジアラウンドでも何度か再会したり、日本でも何度も香川に遊びに来てくれたり、その後も世界中で再会したりして付き合いがあります。
ここプノン・バケンはアンコール遺跡群を一望できるところです。もちろん非常に高い所にあり、体力のない方はあきらめるか、象タクシーを使うことになります。ここへ登ればアンコール遺跡がジャングルの中にあることを実感できます。
ここではイモリの鳴き声を5回連続聞くことが出来ました。(通常は4回までで、5回以上連続で聞けると一生安泰らしい)

シェムリアップでの食事

食事は毎日屋台で食べていました、画像は屋台の女の子、ドリアンは高いので写真撮るだけ、かき氷はデザートなんですが、なんと、なまたまごがのっているんです!現地の人が食べているのをみて同じ同じものって頼んだら、”卵はのせるのか?”と気を使って聞いてくれたのだけれど、もちろん”Yes!”味は、ウマイッ!の一言です。日によってはいつもの僕たち3人に加えて日本人の女の子2人もいてノリでいろいろなものを食べました。中でもヘビとホビロン(あひるの孵りそうな卵のゆでたまご)画像は載せることが出来ないくらいグロいですが味は・・・めちゃくちゃ美味しかったです!!!

2日でノブはバンコクへ向かいました、後にまた再開するのですが・・・あと1日、アンコールはもちろん立ち寄りましたがもう一人の日本人”ケイ”と日本政府が行くのを禁止していたバンテアイ・スレイ、クバール・スピアンなど北東部郊外へ行くことになりました。画像にある木に赤いペンキを塗っているところは一帯が地雷原で、ペンキの向こうはまだ未チェックだということで絶対に超えないようにという目印だ。そこをこえると、珍しい滝や川の中にあるレリーフや、古いヒンドゥー遺跡を見ることができる。

再びタイ、バンコクへ

再会
僕の旅行人生でも最良の3泊5日を過ごして再びバンコクへ戻ります(もちろんバスで!)バンコクはもちろんカオサンで過ごし、それなりに楽しんでました。画像はムエタイを見に行った時のものです。人間同士の戦いにお金を賭ける、という異常な空間で興奮はしましたが、試合内容は正直不完全燃焼で、”俺の方が強いんじゃない?”と感じるほどでしたが、他の現地の人たちに聞いても、普段もこの程度、とのことでした。

その後、ノブと再会し、水上マーケットへ行くことにしました。

スタジアム

水上マーケット

タイと言えば水上マーケットというほど有名な場所ですね。もう完全に観光地化されています。ここには野菜、果物以外にもたくさんのものを販売していました。ま、それなりに楽しむことが出来ました。そのあとは特にどっちでもいい場所、ココナッツファームとスネークファームへ行きました。少しも面白くないので入り口付近でシンガポールの子達と遊んでいたらタイ警察の人たちがいたので一緒に写真を撮ってもらいました。もちろんタイーホ!じゃありませんからね!

水かけ祭り

ソンクランと呼ばれる4月中旬、タイは年で一番暑い時期を迎えます。それが関係あるのかどうかは分かりませんが、この時期タイは法は無視、無差別攻撃で水をかけるというお祭りがあります。国民はみんなでっかい水鉄砲やペットボトル、あとは石灰(なぜ?)を持ち、水をかけたり白い石灰を塗ったりします。我々観光客ももちろん参加です。ひどいのは走っている車にバケツで水をかけたり、バスに乗っていたら信号待ちで強盗のように人が乗り込んできてバス客全員に水をかけて去って行ったり。ドライバーも鉄砲を持ってそれに応戦したりともう、めちゃくちゃです!
これが経験したかったのでこれに合わせてバンコクに来たのですが、正直イラっとしたこともありましたが、ま、経験ですね!

アユタヤ そして別れ

次の日はバンコク近辺では一番メジャーな遺跡、アユタヤへ行くことに。もちろんノブも同行。ツアーではないので電車で行く。よく分からないので駅構内でその辺にいる日本人の女の子に乗り場が合っているか聞いた。どうやら合っているようだ。アユタヤについて移動手段を探していたのですが、タイでは有名な”トゥクトゥク”をチャーターするのが一番安いようだったので、バンコクの駅で声をかけた日本人2人組と僕たち2人の計4人でワリカンで行動することに。

ワット・マハタート

不思議じゃないー?

ここアユタヤには戦争で首をはねられた仏像がたくさんありました。 それとは関係ないと思いますが、この画像、仏像の外れた頭に長年かけて木が絡みついた状態です。ここではすごく神聖なものとして扱われていて、この仏像の頭よりも絶対に低い姿勢をとらないと怒られてしまいます。なんかとても神秘的というか、怖い光景でした。

帰国です

初めてのアジア旅行も終わりです。
アユタヤの帰りに僕だけそのままタイの国際空港へ向かいました。国際空港の駅まではノブや日本人の女の子2人とも一緒で電車の中で仲良くなったカナダ人女性(このあと日本へ入国)とも楽しく会話しました。ノブは帰国後この3人とも仲良く再会したようです。
やはり良かったのはティオマン島、ピピ島、アンコール遺跡ですね!まさかこの後、間もなくタイへ再入国するとは思ってなかったのですが、楽しいだけの思い出を胸に日本へ帰国しました。
帰国後にお腹を壊してしまいましたが・・・

おわり